伝説の犬

2015年4月 1日 (水)

伝説のディスクドッグその5 まりん(ラブラドールレトリバー)

昨日突然の悲報が・・・・・
14歳でした。

今回は『まりん(ラブラドールレトリバー)』です。


まりんとは、BBDCが前身のバウンドバウとして高崎の根小屋で活動していた
10数年前からの付き合いにになります。

バウンドバウでは初の女性フリースタイラーとして、
パートナーの清水千春とともに活躍していました。

デビュー間もない頃から、住宅展示場や、市町村のイベントなどの
ディスクドッグショーに多数参加しました。

ディスクドッグショーで育ったチームと言ってもいいくらいです。




女性らしいオリジナリティーあふれるルーティーンは人気とともに高く評価されました。
女性チームの一つの形を作りました。


そのルーティーンは世界でも高く評価されました。

2007年に行われた、USDDN(ケンタッキー州ルイビル)全米選手権では、
見事3位に輝きました。

そして『CHIHARU&MARIN』という名前が世界中で知られることとなりました。


そんなまりんは信じられませんが、ゲームにデビューして最初は、
ラインの小麦粉を食べて終わってしまったゲームが続きました。

ゲーム後に落ち込んでいた彼女のことも知っています。



まりんは、ディスクドッグで活躍している多くのラブラドールレトリバーのように、
フィールドトライアル系の血統ではありませんでした。

走るのも早くなく、ジャンプも得意ではありませんでした。

もともとスーパードッグではない『まりん』をディスクドッグに育て上げ、
チームとしての見せ方を完成させ、“スーパーチーム”として、
世界で活躍するチームに作り上げたことは素晴らしいことです。

国内外にこのチームのファンが沢山いました。





2007年・・・・・

私が初めてに行ったUSDDNワールドファイナル(ケンタッキー)で、
おもいっきり輝いていた『CHIHARU&MARIN』は今でも強烈に心の中にあります。

バウンドバウの初期のころから一緒にやってきた仲間のこのチームが、
アメリカの晴れ舞台で、いつもの曲のイントロが聞こえてきたときには・・・・・
感激してファインダーを覗く目から、涙があふれそうになったのを覚えています。


2006AWI
2007USDDN
2009USDDN

3回のワールドファイナルに参加。

そしてこの世を去る前日までフィールドを走っていた『まりん』でした。

まりんには、ここでは書ききれない思い出がまだまだ沢山あります。


忘れることの出来ない『伝説の犬』です。

Mari
2007USDDNにて

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2012年11月 7日 (水)

伝説のディスクドッグ(番外編)おまけ マトラ(エアデールテリア)

USDDN2012も、たくさんのドラマを残し終りました。
『伝説のディスクドッグ』は、まだまだ書きたい犬がいますので、
その4、その5と続いていきます。
が、今回は、伝説にはなっていませんが、「おまけ」、として書きたいとおもいます。


その犬は『マトラ』です。
マトラはディスクドッグでは、珍しいエアデールテリア。
パートナーは、わたくしHiro@管理人の酒井寛です。


私は、2007年から、USDDN世界選手権は、撮影のため毎年参加してきました。
そして、いつかはこの夢舞台に立ちたいと思うようになりました。
2010年にそのチャンスがやってきました。

その、チャンスを作ってくれたのが、2008年秋にやってきた、マトラでした。
バツグンの身体能力を活かした大きなジャンプ、派手なパフォーマンス、
エアデールテリアならではの力強さなど、
素晴らしい能力を持った犬でした。

エアデールテリアなので、ディスクドッグとしての扱いは難しかったものの、
HIRAI氏の考案したマトラ用のディスクのトレーニング方法もあり、
世界と戦えるレベルまで成長することができました。
(練習嫌いの私も練習するようになりなした)


2010年、2011年、夢舞台であるUSDDN世界選手権に出場することができました。
2010年は、初めての世界選手権での緊張で、ボロボロでした。
このとき、犬のコンディション管理や、プレーヤーのメンタル管理など多くを学びました。

2011年は、自分としては出来過ぎと思えるくらいの戦いができました。
3ラウンドとも、犬も、人も、ほとんどミスもなく、持っている力のすべて出し切りました。
その時の達成感は今でも忘れません。
結果として『フェイバレット・エンターテナー・アワード』という、
栄誉ある賞をいただくことができました。


また、ディスクドッグショーでは、派手なパフォーマンスでいつも観客をわかしていました。
ぬいぐるみのような容姿と、迫力のある演技のギャップで人気はバツグンでした。
マトラのファンも多く、マトラ目当てに遠方よりショーを見に来てくれる方々もいました。


残念ながら、マトラは今年の春、3才8ヶ月という若さで、
この世を去ってしまいましたが、
マトラの残していったものと共に、マトラという犬の偉大さを感じています。
マトラが開けてくれた、世界への扉。
マトラが教えてくれた、世界で戦うことの素晴らしさ。

世界に向けて、次のチャレンジを続けていきたいとと思います。

ありがとう マトラ!


     P,S,今回は、番外編のおまけにお付き合いいただきありがとうございました。

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2011USDDNにて

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2012年11月 6日 (火)

伝説のディスクドッグ その3 パム(ボーダーコリー)

このコーナーでは、過去16年間見てきたディスクドッグの中で、
心に残る、犬を紹介していきます。

伝説のディスクドッグ その3は、パム(ボーダーコリー)を紹介します。

パートナーは松浦michiko。
スタイリッシュな女性プレーヤー。
独特な、オリエンタルな雰囲気をかもし出す曲と、計算しつくされたルーティーン。
ゆったりとした雰囲気の中に、技をちりばめていく姿は、見るものを引き込む、
不思議な空気感を持ったチームです。


では、パムという犬の伝説を書いていきたいと思います。
現在パムは10歳を迎えようとしています。
松浦&パムは、今年のUSDDN世界選手権の日本代表チームです。
この年齢でUSDDNを戦うことじたいが、すごいことです。
これだけでも、伝説に値します。

しかしパムという犬には、もっともっとすごい伝説があります。
それは、どの犬も達成したことのない大記録です。

その記録とは
2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、そして今年2012年
5年連続を含む、合計6回の『USDDN世界選手権』に出場しています。
すばらしい大記録です。
(残念ながら2011年だけは、プレーヤーの体調不良により出場できませんでした)

そのほかにも、サウザンナショナルチャンピオンシップでもアメリカにいっています。
確かその時は4位という好成績だったと思います。


世界への切符を手に入れたパムでしたが、そのチャレンジは、
順調とはいきませんでした。
チャレンジ最初の年2006年、翌年2007年のUSDDNは、
予選落ちという悔しい結果になりました。
それでも諦めないでチャレンジを続け、その後2008年からは、
つねに上位入賞のポジションを定位置にしてきました。

国内でも2010年の『QC+カップ』のチャンピオンを獲得。
このビッグタイトルも前記の偉業の前ではかすんでしまう位です。


パムにとって、長い長い世界へのチャレンジでした。
同じ犬で、合計7回の世界へ。
この偉大な記録を達成した、

『松浦&パム』

このチームと共に存在する、

『パム』

という犬は、まさに、伝説のディスクドッグです。

Pam
                         2012 USDDNにて

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2012年7月 9日 (月)

伝説のディスクドッグ その2 ハヤテ(ボーダーコリー)

伝説のディスクドッグのコナーでは、過去15年間、
日本やアメリカで見てきた、私の心に強く残っている犬たちを、紹介していきます。、

伝説のディスクドッグ、その2は、『ハヤテ』を紹介しますす。
ハヤテは。少し大きめのボーダーコリーのオス。
パートナーのプレーヤーはコージ。
メジャーゲームでの優勝や、国内でのビッグタイトルが無いので、
その名前を聞いても、ピンと来ない人もいるかもしれません。

では何故、伝説のディスクドッグなのでしょうか。
もしかしたら、ハヤテほど沢山の伝説を持っている犬もいないのではないかと思うくらい、
沢山の伝説を作ってきました。


私は、ハヤテを始めてみたのは2002年のドグタウンカップだと思います。
(遠い記憶で書いてます)
遠く、四国の地からのエントリーで、どんなスーパーなチームが出てくるのかと、
バウンドバウ一同、期待をしていました。

何とロングリード。
脱走しそうになるハヤテと、懸命にフリースタイルをやっている姿でした。
でもその姿が、まったくかっこ悪くなく、一生懸命の2分間にちょっと感動しました。
トップのチームのスーパーなプレイと共に、
『ハヤテ』の名前もしっかり記憶に残りました。

翌年2003年も、ドッグタウンカップに来ていました。
まだロングリードでしたが、ほとんどそれに頼らないようになってました。

2004年。首輪から、30センチ位の細い紐が付いていました。
もう、まったく脱走のけはいなど、ありませんでした。

2005年。その紐もなくなりました。

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そして、一つ目の伝説。

2002年から10年連続、ドグタウンカップ出場という偉業を成し遂げたのです。
同じ犬で、10年間メジャーゲームに出続ける執念と、
うまくいかない時に、あきらめなかった粘り強さが大記録を達成しました。


二つ目の伝説は、2007年。

USDDN、ディビジョンⅡ優勝です。
ハヤテ初の世界選手権。
今、誰しも認めるトッププレーヤー『シュン&シャック』を破っての、優勝でした。
その時の、ハヤテの決勝フリースタイルは、
1ミスの、ほぼパーフェクトの演技だったと記憶してます。


三つ目の伝説は、2009年。

USDDN世界選手権ディビジョンⅠの日本代表に、ついに上りつめました。
世界の、トッププレーヤーの中に入って、
『インターナショナルファイナリスト』の称号を獲得。
ロングリードから、スタートしてここまでやってきた『ハヤテ』は、
まさに、伝説のディスクドッグです。



実は、ハヤテには伝説の番外編があります。
これが、一番の伝説かもしれません。

2009年。世界選手権一日目が終って、トップ15に入り、
翌日の、決勝進出が決まりました。

ところが、その日の夜中、ハヤテが、胃捻転。まさかの緊急入院。
何とか一命は取りとめたものの、翌日の決勝はもちろんキャンセル。
それによって、同じく日本代表で行っていた、リッサのチームが、
16位からの繰上げで、あきらめていた決勝に出られることになりました。

実は、このリッサのパートナーが、コージの奥様で『ミオ&リッサ』のチームでした。
この、不思議な力に後押しされたのか、
ミオ&リッサがすばらしい演技をしたことは言うまでもありません。



ディスクドッグとしては、順位としてのスーパーな結果を多く残した犬ではないけれど、
ハヤテが、パートナーのコージとやってきた10年間こそが、まさに伝説です。

ハヤテも元気で、ウチのアデルと、フリースタイルディスクドッグの、
世界最年長記録を争ってます。

ハヤテの健康と長寿を祈念して、終りたいと思います。

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↑2009USDDNにて

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2012年6月21日 (木)

伝説のディスクドッグ その1 BEE(ボーダーコリー)

前書き。
この15年間、日本各地や、アメリカで、たくさんのディスクドッグを見てきました。、
大きな感動を与えてくれた、スーパードッグに感謝するとともに、その、存在と感動を残しておこうと思い、
このコーナーーをスタートしていきます。なおセレクトについては、わたしの個人的なものとなりますので、ご了承ください。


まず記念すべき第一弾は、私の中では、この犬しか、いないでしょうね.

その名は、『BEE』(ボーダーコリー)です。

私が始めてみたのは、2004年秋のことでした。


第一印象は、
今まで見てきた、ボーダーコリーのフリースタイルと何か違うな、と感じました。

そしてそれは、走る、跳ぶ、止まる、獲る(キャッチ)が、
すべて、桁外れに、ダイナミックで美しいという事でした。


それまでの

『技を見せるフリースタイル』

から

『犬を見せるフリースタイル』

の表現なのだな、と感じました。


技をつないで、ルーティーンを作るのではなく、
ルーティーンのなかに、技を入れ込んでいく
ということも発見しました。

そこには、犬と、人間で、何を表現したいか、という
ルーティーンのテーマが存在するという事です。




2007年USDDN決勝ラウンドでみせた、Yach&BEEのパフォーマンスは
私の中のベストゲームです。写真を撮っている手が震え、
心拍数がドンドン上がっていったのを鮮明に覚えています。


この、Yach&BEEの作り上げたスタイルは、
我がマトラや、ジェイクにも引き継がれ、
今や、デイスクドッグの基本となり、ひとつのスタンダードとして定着しました。


残念ながら、BEEは、一昨年の年末に、この世を去ってしまいました。

わたしは、BEEの地面を蹴る、力強い足音がが大好きでした。
BEEの魅せてくれたダイナミックなパフォーマンスは、ディスクドッグを続ける
私の中で、これからもずっと生き続けます。

GOOD JOB! BEE
THANK YOU  BEE

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↑2007USDDNでのBEE

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