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2014年1月 9日 (木)

フォトグラファーとグラフィックデザイナー(デジタル化の波)

私が犬専門のフォトグラファーということを知っている方もいると思います。

フォトグラファー(カメラマン)の役割は写真を撮ること。
グラフィックデザイナーは、撮った写真を印刷や使い道に応じて
加工したりレイアウトしたりします。

我々フォトグラファーは、グラフィックデザイナーがいなければ
本やポスターなどに作品を乗せることができません。

フォトグラファーとグラフィックデザイナーは一心同体。
助け合いの関係にあります。
お互いの信頼関係が良い作品を生み出します。




ところがデジタルカメラが仕事の現場で使われるようになた近年(5~6年)、
この線引きが怪しくなっています。


何が起こっているのかというと、
撮影が役割のカメラマン(馴染みのあるこの言葉を使います)。
そのカメラマンが、パソコンで画像加工ソフトを使い、
グラフィックデザイナーがやっていた、
画像加工や、時には印刷用の入稿原稿まで作ってしまうカメラマンもいます。

映像がデジタル化され、パソコンや画像加工ソフトが、
簡単に低コストで使えるようになった事が大きく影響しています。



画像加工に関しては、曇りの写真を晴れにしたり、
邪魔な建物や看板や電柱などを消したり、
紅葉の時期を早めたり色々行われています。
集合写真では、撮影のときいなかった人を、別に撮影して合成して、
その時にいたように仕上げます。
人物の体型を変えたり、顔を小さくしたり、目を大きくしたりもします。

私は、このような嘘と言ってもいいような画像加工はやりません。
カメラマンの善意なのか、モラルなのか、分かりませんが、
踏み込んではいけない世界のように思います。
写真というものと、随分かけ離れたものになっています。

「写ってる○○は消しといてね」
「後から△△の写真と合成して一枚にすればいいよね」

アートディレクターやグラフィックデザイナーの立会いの撮影ならまだしも、
現場で、直接カメラマンに軽い気持ちで要望することも日常的になっています。


カメラマンにとっては、画像の加工は麻薬みたいなもので、
一度始めるとドンドン深みにはまっていくものです。
私もやってみて、これ以上は危険と感じたところで線を引きました。

画像加工という、グラフィックデザイナーの領域の仕事を、
売りにしたり、サービスとしてやっているカメラマンもいます。
もしかしたら、そちらが主流になっているかもしれません。
撮影の時間より、画像加工にかける時間に莫大な時間を取られてしまっては、
本末転倒になりかねません。



その反対に、本来カメラマンのやるべき撮影を、
グラフィックデザイナーが高性能なデジカメを使って撮影をして、
それをサービスとしているデザイナーもいます。
撮影の技術よりも、画像加工で商品にしていきます。
デジカメの性能が良くなったので、この方法が出来るようになりました。



本来ならば、共存共栄の関係であったカメラマンとグラフィックデザイナーが、
お互いの仕事を取り合い、専門外の事をやっても、
良いものができないのではないでしょうか。

クオリティーの高いものを求めれば、当然それぞれの分野のスペシャリストに依頼します。
私も、撮影のスペシャリストとしてやっていければ最高です。




ここに書いた事は映像のデジタル化が及ぼした一例です。
私は映像のデジタル化の可能性を感じて、
割と早い時期(2003年より)にオールデジタルにしました。
その時の期待感を持って感じたこととは、随分と違う方向に進んでいってしまいました。


他の業界でもデジタル化によって似たようなことが起こっている事は予測できます。
あれもこれもできてしまうデジタル化の中では、
自分のやるべき事を明確にすることが大切だと思います。

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